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メッセージ



     

国際交流員 朴榮先(パク ヨンソン)

― 国際交流から世界の平和へ・・・―

ヨロブン、アンニョンハセヨ!(皆さん、こんにちは!)

今から63年前の1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され14万人の尊い人命が失われました。

今夏、毎年この日に広島原爆ドームの前で開催される平和コンサートに参加する機会を得ました。きっかけは、高浜国際交流協会主催のコンサートで、東京からゲストで参加していただいた河野康弘さんというピアニストとの出会いです。河野さんは、日本中でコンサートしながら環境保護や世界平和の活動を展開されている方で、国内で古くて使われなくなったピアノを再利用して日本や外国の学校や福祉施設に寄付をされたり、各地で平和コンサートを開催されるなど同じ音楽家として本当に尊敬出来る活動をされています。

その河野さんから、8月6日の平和コンサートに参加しないかとお誘いを受けました。

私は、1996年日本外務省主催の研修で広島を訪問したことや、高浜町から遠い場所なので少し迷いましたが最終的に娘のダヨンと参加する決心をしました。

私の決心には2つの大きな理由があります。一つは、国際交流員として世界の平和に貢献することは私の願いであり使命だと思ったからです。もう一つは、娘と共に戦争の愚かさと平和の大切さを、もう一度広島で体感したかったからです。

そして、平和コンサートで韓国人として高浜町の国際交流員としての誇りを胸に精一杯の演奏をして平和の大切さを訴えようと思いました。

8月6日は、教育委員会より2人の方にサポートしていただき、朝6時に高浜を出発し広島にはお昼頃に着きました。夜のコンサートまで時間がありましたので、広島平和公園や平和記念館を訪問しました。

平和公園は、午前中に平和祈念式典が開催されたこともあり大勢の人でいっぱいでした。始めに、日本人原爆犠牲者の慰霊碑の前でご冥福をお祈りした後、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を探しました。

1996年に訪問した時は、日本人の慰霊碑に比べ粗末な感じで平和公園西側の本川橋西詰めに建立されていて、当時は、雨がいっぱい降ったら大丈夫かと心配した記憶がありましたが、今は公園内に立派な慰霊碑が建立されていました。

韓国人の原爆犠牲者は広島と長崎を合わせて7万人余りとされていますが、詳しい資料が焼失して正確な人数は分からないそうです。

この碑が、最初に建立されたのは1970年で、碑の表面に名前が刻まれた李王朝一族の日本軍将校がこのあたりで被爆されたからだそうです。その後、韓国側から碑を平和公園内に移して欲しいと何度も広島市に要望がなされ、1999年7月にようやく平和公園内に移設されたと聞きました。

戦後、長い間、韓国人被爆者は援護の対象にはされていませんでした。今は、多くの在日韓国人被爆者が被爆者手帳の交付や原爆医療法の適用を受けていますが、まだまだ多くの問題が残っております。私は、日本の皆様がこの戦争で日本のために働き犠牲となった多くの韓国人がいたことを忘れないように願っております。

21世紀を迎えた今も、世界各地で悲惨な戦争が起こっています。私は、国や人種あるいは宗教が違っても、世界の人々が互いに関心と愛をもって異文化を理解し仲良くすることが平和な社会を築く近道だと思っています。

 夜の平和コンサートでは、戦争で尊い命をなくされた人を痛み二度とこのような悲惨な戦争が起こらないことを願い精一杯の気持ちで演奏をしました。

8月6日「広島原爆の日」、今回の広島訪問は、改めて平和の尊さを考えさせられる貴重な日となりました。

カムサハムニダ!(ありがとうございました!)